上場審査で労務管理が取り上げられると、話は管理体制の整備にとどまりません。未払残業の金額が確定すれば費用の計上と過年度の数値の見直しにつながり、申請のスケジュールそのものが動くことがあります。
労務の内部監査で難しいのは、給与計算が正しいかどうかではなく、計算のもとになる労働時間の記録が実態を写しているかを確かめることです。ここは書類を並べるだけでは見えません。
この記事では、36協定の点検の進め方から、未払残業が生じやすいパターンと確認方法、固定残業代と管理監督者の範囲の見方、そして指摘の書き方までを、往査で使える順番で整理します。
- 労務の内部監査で見る5つの領域と、それぞれでそろえる証拠資料
- 36協定の点検を6つの手順に分けた進め方と、事業場の漏れの見つけ方
- 打刻データと入退館記録の突合で、どの月とどの人を抽出するか
- 未払残業が生じやすい5つのパターンと、それぞれの確認方法
- 固定残業代の追加支給漏れと、管理監督者の範囲の見方
- 労務の指摘に必ず入れる4点と、過去分の取り扱いをどこまで書くか
図 労務管理の監査の着眼点
この記事の見出し
📌 結論 労務は金額が確定すると止まる論点
上場審査で労務管理が論点になるのは、指摘の内容が管理体制の話にとどまらず、未払賃金という金額に変わるからです。金額が確定すれば費用の計上と過年度の数値の見直しが必要になり、申請のスケジュールそのものが動きます。内部監査で労務を扱うときは、規程が整っているかを見るだけでは足りず、記録が実態を写しているかまで踏み込む必要があります。
給与計算そのものの正確性は、給与システムと社会保険労務士の関与でかなりの部分が担保されています。内部監査が価値を出せるのは、計算のもとになる労働時間の記録が実態と合っているかという、システムの外側にある部分です。ここは書類だけを見ていても見つかりません。
領域ごとに証拠資料を先に決めておくと往査の時間が読める
🧭 36協定の点検はどう進めるか
労働基準法は、法定の労働時間を超えて働かせる場合や休日に働かせる場合に、労使の協定を結んで労働基準監督署長に届け出ることを求めています。この協定は労働基準法36条にもとづくため36協定と呼ばれます。内部監査ではまず、現在有効な協定と受理印のある届出控えを実際に手に取ることから始めます。
見落としが多いのは事業場の単位です。協定は事業場ごとに結ぶものなので、本社だけを届け出て支店や営業所が漏れているという例が実際にあります。拠点を増やした年や、登記上の住所と実際の勤務場所が違う場合は特に注意して確認します。
時間外労働には上限が定められており、原則は月45時間・年360時間です。臨時的な特別の事情がある場合に限って特別条項を設けることができますが、その場合も年間の総枠や複数月の平均といった枠がかかります。協定書に書かれた時間数と、実際の月次集計を突き合わせて、超えた月と超えた人を特定するのが点検の中心になります。
協定の内容を読む前に集計だけを見ると超過を見落とす
超過が見つかったときに、内部監査として次に確かめるのは手続です。特別条項を発動する際に定めた手続が踏まれていたか、記録が残っているかを見ます。超過そのものより、決めたとおりに動いていないことのほうが管理体制の問題として重く扱われます。
未払残業の見積りや過年度への影響は、早い段階で把握しておくほど選択肢が広がります。上場申請書類(Ⅰの部・Ⅱの部)の作成支援と内部統制の導入、内部監査対応を行っている公認会計士・税理士が直接対応します。初回のご相談は無料です。
📊 労働時間の記録は実態を写しているか
労働時間の確認で最も効くのは、性質の違う2つの記録を突き合わせることです。自己申告や打刻データは本人の操作が入りますが、入退館のカード記録やPCの起動と終了のログ、業務システムの操作ログは、労働時間を記録する目的で作られたものではないため、意図的な調整が入りにくいという特徴があります。
具体的には、部署別・月別に、申告時間と入退館記録から計算した滞在時間の差を並べます。差が一定の範囲で安定している部署は問題が小さく、特定の月だけ差が急に開く部署、あるいは差が常に大きい個人が抽出の対象になります。全員を調べる必要はなく、差の大きい上位から順に本人と上長に確認していく形で十分です。
在宅勤務がある会社では、入退館記録が使えないため業務システムの操作ログが代替になります。在宅の日だけ申告時間が短いという傾向が出た場合は、記録の仕組みそのものを見直す必要があります。
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🗂 未払残業をどう見つけるか
未払残業は、時間が申告されていないことによるものと、時間は正しいが金額の計算が誤っていることによるものに分かれます。前者は前の節の突合で見つけ、後者は賃金台帳から単価を再計算して確かめます。単価の誤りは手当を新設した直後や賃金規程を改定した直後に起きやすく、給与システムの設定変更が漏れているという形で現れます。
金額よりも先に人と月を特定すると是正の範囲が決めやすい
抽出の仕方としては、金額の大きい人から選ぶよりも、パターンごとに数名ずつ選ぶほうが有効です。1人で起きている誤りなのか、設定に起因して全員に及ぶ誤りなのかで、是正の範囲と金額の大きさがまるで変わるためです。内部監査の報告では、見つけた金額そのものより、その誤りが何人に及ぶ可能性があるかを示すことが求められます。
⚖️ 固定残業代と管理監督者の範囲
固定残業代を採用している場合は、給与のうち固定残業代にあたる部分がいくらで、何時間分に相当するのかが、賃金規程と労働条件通知書の両方で明示されているかを確認します。そのうえで、実際の時間外労働が固定相当時間を超えた月に、超過分が追加で支給されているかを全員分のデータで見ます。設計としては正しくても運用で追加支給が漏れているという例は少なくありません。
管理監督者の範囲は、労務の内部監査で最も判断が難しい領域です。役職名だけで一律に対象外としている場合はまず疑ってかかります。実際の判断は、経営に関わる権限を持っているか、出退勤の時間に裁量があるか、地位にふさわしい待遇を受けているかという観点から、個別に見ていくことになります。内部監査としては白黒をつけるのではなく、判断の根拠が会社として整理されているかどうかを確認し、整理されていなければその点を指摘するのが現実的です。
📄 休暇・規程・指摘の書き方
年次有給休暇については、付与日数の計算と、年5日の取得が管理されているかを見ます。管理簿が作られていても、更新が年度末にまとめて行われているだけで、期中に取得状況を追えていないという状態がよくあります。内部監査では、期中のどの時点で誰が確認しているかという運用の流れまで確かめます。
規程と協定については、最新版が実際に届け出られているか、社員がいつでも見られる状態になっているかを確認します。改定したが届出が済んでいない、社内ポータルに旧版が残っているといった状態は、それ自体が指摘の対象になります。
労務の指摘を書くときは、事実・原因・影響・是正案の4点をそろえたうえで、影響の欄に金額の見込みと対象人数を必ず入れます。労務の指摘は他の領域と違い、放置した場合の帰結が金額として計算できるためです。是正案は、記録の仕組みを変えるものと、過去分の精算に関するものを分けて書きます。過去分の取り扱いは会社としての判断が必要になるため、内部監査は事実と選択肢を示すところまでを担い、決定は経営に委ねる形が適切です。
❓ よくある質問
A. 協定は事業場ごとに結んで届け出るのが基本です。支店や営業所を開設した年に届出が漏れているという例が実際にあるため、内部監査では拠点の一覧と届出控えを突き合わせて確認します。
A. 全員を対象にするのは現実的ではありません。部署別・月別に申告時間と入退館記録の差を集計し、差の大きい部署と個人を上位から抽出する形で十分に機能します。
A. 入退館記録が使えないため、業務システムやPCの操作ログを代替として使います。在宅の日だけ申告時間が短くなる傾向が見えた場合は、記録の仕組み自体の見直しを指摘します。
A. 固定相当時間を超えた分は追加で支給する必要があります。制度としては正しく設計されていても、超過月の追加支給が運用で漏れている例が多いため、全員分のデータで確認します。
A. 内部監査が最終的な結論を出す必要はありません。会社として判断の根拠が整理されているかを確認し、整理がなければその点を指摘するという扱いが現実的です。
A. 対象人数と金額の見込みは書きます。ただし過去分をどこまでさかのぼって精算するかは経営の判断であり、内部監査は事実と選択肢を示すところまでを担います。
A. 管理簿の有無だけでなく、期中のどの時点で誰が取得状況を確認しているかという運用の流れまで見ます。年度末にまとめて更新しているだけでは管理とはいえません。
A. 専門的な判断について助言を受けるのは有効です。ただし記録が実態を写しているかという確認は社内の状況を知る内部監査でなければ踏み込めない部分が多く、役割を分けて進めるのが適切です。
📄 まとめ
労務の内部監査は、規程の整備を見る作業ではなく、記録が実態を写しているかを確かめる作業です。ここを外すと、往査をしていても未払残業は見つかりません。
36協定は事業場ごとの届出の漏れと、協定した時間数を超えた月の手続の2点に絞って点検すると、限られた時間でも要点を押さえられます。
未払残業は、時間の申告漏れによるものと単価の計算誤りによるものに分けて考えます。前者は性質の違う記録の突合で、後者は賃金台帳からの再計算で確かめます。
指摘には対象人数と金額の見込みを入れ、記録の仕組みの是正と過去分の精算を分けて書きます。過去分の判断は経営に委ねるのが内部監査の立ち位置です。
公認会計士・税理士 鈴木佑也(鈴木佑也公認会計士税理士事務所/東京都台東区入谷)。優成監査法人(現・太陽有限責任監査法人)で上場企業および上場準備企業の監査に従事し、太陽グラントソントン・アドバイザーズで財務デューデリジェンス、企業価値評価、IFRS影響度調査、不正調査、フォレンジックに携わりました。現在は上場申請書類(Ⅰの部・Ⅱの部)の作成支援、内部統制の導入と内部監査対応、新収益認識基準やIFRSの導入支援、社内諸規程の整備を行っています。
本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の事案に対する助言ではありません。実際の制度設計や運用にあたっては、監査法人および主幹事証券会社にご確認ください。
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- 内部監査基準と規程
- 内部監査は誰が担当するか
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- 内部監査室はいつ設置するか
- 内部監査室の立ち上げ90日
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- 3ラインモデルと内部監査
- 企業統治の指針と内部監査
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