※本記事は2026年10月6日時点の公表資料に基づきます。
「資本コストを意識した経営と言われても、WACCを計算して開示すれば終わりなのか」。2023年の東証要請以降、多くの上場会社がこの問いに向き合ってきました。CGコードの2026年改訂は、この取組みをガバナンスの側から一段進めるものです。
結論からいえば、資本コストは開示用の数値ではなく、経営計画、個別の投資判断、事後の検証という三つの場面で、取締役会が共通の物差しとして使うべきものです。本記事では、資本コストの基本と主要指標の関係を確認したうえで、改訂後の原則4-1・4-2のもとで投資判断にどう組み込むかを整理します。
この記事の見出し
CGコード改訂で「資本コスト」はどう位置付けられたか
改訂後の原則4-1は、取締役会が経営戦略や経営計画の策定・公表に当たり、成長の実現を目指し、自社の資本コストを踏まえて収益計画や資本政策の基本的な方針を示すとともに、収益力・資本効率等に関する目標を提示すべきとしています。そのうえで、成長投資や事業ポートフォリオの見直し等の経営資源の配分等に関し、具体的に何を実行するのかを説明することを求めています。
また原則4-2では、経営資源の配分が経営戦略や経営計画に照らし適切なものとなっているかについて、取締役会が不断に検証を行うべきとされました。実務解説では、今回の改訂は「資本コストを意識した経営」をガバナンスの観点から具体化し、企業が資本コストを認識することにとどまらず、その資本をどのような成長投資へ配分し企業価値向上につなげていくのかについて、取締役会が主体的に関与すべきことを明確化したものと説明されています。
図1 会社から見れば資金調達のコスト、投資家から見れば期待するリターンです。
2023年の東証要請からの流れ
東京証券取引所は2023年3月、プライム市場とスタンダード市場の全上場会社に対し、「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」を要請しました。その後、開示企業の一覧表の公表や、投資者の視点を踏まえたポイントと事例、投資者の目線とギャップのある事例の公表などを通じて、単に計画を策定・開示するだけでなく、株主・投資者との対話を踏まえて取組みを継続的に見直すことを促してきました。
今回の改訂により、こうした取組みはコードの原則としても位置付けられました。東証要請への対応を経営企画部門やIR部門の開示作業として進めてきた会社にとっては、取締役会がその内容をどう審議し、検証しているかを改めて問われる局面といえます。
資本コストの基本を確認する
資本コストとは、資金を提供する投資家が、リスクに見合って期待する収益の水準です。会社の側から見れば、事業に使う資金を調達するためのコストにあたります。会社が資本コストを上回る収益を上げれば企業価値は高まり、下回る状態が続けば、資金を提供した投資家の期待に応えていないことになります。
資本コストは、株主が期待する収益率である株主資本コストと、借入金などの負債コストに分けて考えるのが一般的です。両者を資本構成の割合で加重平均したものが、WACC(加重平均資本コスト)と呼ばれます。負債の利息は税務上損金になるため、負債コストは税引後で考えます。
図2 代表的な算定方法の概念図です。各要素の見積り方は会社ごとに検討が必要です。
ここで注意したいのは、資本コストは帳簿から自動的に決まる数値ではないという点です。株主資本コストの推計には、市場全体の期待収益やリスクの見積りなど、一定の仮定が含まれます。どの方法で、どの前提を置いて推計したかを社内で説明できるようにしておくことが、取締役会での議論や投資家との対話の前提になります。
| 指標 | 意味 | 使う際の注意点 |
|---|---|---|
| WACC | 資金提供者全体が期待する収益率 | 推計の前提を明確にし、毎年同じ方法で見直す |
| ROIC | 事業に投下した資本の収益性 | 事業別に見ると配分の議論に使いやすい |
| ROE | 株主資本に対する利益の割合 | 負債の増加でも上がるため、財務の健全性と併せて見る |
| PBR | 株価が1株当たり純資産の何倍か | 市場の評価であり、短期の株価変動にも左右される |
資本コストの推計で押さえたい点
資本コストの推計方法には、実務で広く使われる考え方がいくつかありますが、どの方法を採っても一定の仮定が入ります。重要なのは、推計の結果を一つの数値として固定的に扱うのではなく、幅を持った目安として理解し、判断にどの程度影響するかを把握しておくことです。
たとえば、株主資本コストの推計に用いる市場全体の期待収益や、自社株式の値動きの大きさの見積りが変われば、結果も変わります。前提を少し動かしたときに投資判断が変わるかどうかを確認しておけば、取締役会で「この数値は正しいのか」という議論に時間を費やさずに済みます。
また、投資家が想定している資本コストと、会社が認識している資本コストに差があることも少なくありません。東証の事例集でも、投資者の目線を意識することの重要性が繰り返し示されています。対話の中で投資家がどの程度の水準を想定しているかを確認し、自社の認識との差を把握しておくことも有用です。
推計の前提や方法は、毎年同じ考え方で見直すことが望まれます。年によって方法を変えると、数値の変化が経営の成果によるものか、方法の変更によるものかが分からなくなります。方法を変更する場合は、その理由と影響を記録しておきます。
主要指標の関係をどう読むか
事業の収益性を資本コストと比べる代表的な方法が、ROIC(投下資本利益率)とWACCの比較です。ROICがWACCを上回る事業は投資家の期待を上回る価値を生んでおり、下回る事業は価値を損なっている可能性があります。全社の数値だけでなく、事業ごとに比較すると、どこに資源を振り向けるべきかの議論が具体的になります。
図3 事業ごとにROICと資本コストを比べると、資源を振り向ける先の議論がしやすくなります。
株主の立場からは、ROEと株主資本コストの比較もよく使われます。ROEが株主資本コストを継続的に下回る状態では、市場が会社の純資産以上の価値を認めにくく、PBRが1倍を割り込みやすくなるとされます。東証要請がPBR1倍割れの企業に特に改善を求めた背景には、こうした関係があります。
簡単な架空例で考えてみます。全社の資本コストを7%と見積もっている会社に、三つの事業があるとします。数値はあくまで説明のための仮定です。
| 事業(架空例) | ROIC | 資本コストとの差と論点 |
|---|---|---|
| A事業 | 10% | +3ポイント。成長投資を優先して検討する |
| B事業 | 7% | ほぼ同水準。収益性改善と投資規模の妥当性を確認する |
| C事業 | 4% | -3ポイント。改善策の実効性、縮小・撤退の要否を議論する |
このように並べるだけで、議論の焦点は「全社のROEを何%にするか」から「どの事業に資源を振り向け、どの事業の収益性をどう改善するか」へ移ります。もっとも、C事業が他事業の顧客基盤を支えているなど、数値に表れない役割を持つ場合もあります。表は結論ではなく、取締役会で問いを立てるための出発点として使います。
図4 ROEが株主資本コストを継続的に下回ると、PBRが1倍を割り込みやすくなるとされます。
ただし、ROEは自己資本を減らしたり負債を増やしたりすることでも上昇します。短期的に指標を良く見せることが目的化すると、財務の健全性や将来の成長投資の余力を損なうおそれがあります。指標は目標そのものではなく、資本を有効に活用できているかを確かめる手段として使うことが大切です。
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投資判断に資本コストを組み込む
個別の投資案件では、将来生み出すキャッシュ・フローを資本コストで割り引き、投資額を上回る価値が生まれるかを確認する方法が基本になります。正味現在価値(NPV)や内部収益率(IRR)といった手法は、いずれも資本コストを判断の基準として用いる点で共通しています。
図5 割引率に資本コストを用いることで、期待する成果が投資家の要求に見合うかを確かめます。
ハードルレートを事業のリスクで調整する
投資を採択するかの基準となる収益率を、ハードルレートと呼ぶことがあります。全社のWACCをそのまま全案件に使うと、リスクの高い新規事業も安定した既存事業も同じ基準で評価され、結果としてリスクの高い案件へ資源が偏るおそれがあります。事業や案件のリスクに応じて基準を調整する考え方も、検討に値します。
図6 全社一律の率だけで判断すると、リスクの高い事業へ資源が偏るおそれがあります。考え方の例です。
| 確認項目 | 取締役会での問いの例 | 記録しておくこと |
|---|---|---|
| 前提の妥当性 | 売上や原価の前提は何に基づくか | 前提の根拠と感応度 |
| 割引率 | どの資本コストを、なぜ使うか | ハードルレートと調整の理由 |
| リスク | 前提が外れた場合の影響は | 下振れシナリオと撤退の条件 |
| 事後の検証 | いつ、何で成果を測るか | モニタリングの時期と指標 |
数値の精緻さだけにこだわる必要はありません。むしろ、どの前提が結果を大きく左右するのかを特定し、その前提が崩れた場合にどう対応するかを事前に議論しておくことのほうが、取締役会の監督としては重要です。前提と判断の理由が記録されていれば、後の検証で「前提が違ったのか、実行が遅れたのか」を切り分けられます。
事業ポートフォリオの見直しに使う
原則4-1は、経営資源の配分の例として事業ポートフォリオの見直しを明示しています。資本収益性と成長性の二つの軸で事業を整理すると、重点投資する事業、収益性の改善を求める事業、資金を生み出す役割の事業、再編や撤退を検討する事業を議論しやすくなります。
図7 各事業の位置は会社が判断します。図は議論のための枠組みの例です。
撤退や縮小の議論は、社内の抵抗もあり先送りされがちです。だからこそ、どの水準を下回ったら見直しを検討するのかという基準を、平時に取締役会で合意しておくことに意味があります。基準があれば、個別事業の議論が属人的な評価に左右されにくくなります。
開示と対話で何を説明するか
東証要請への対応では、計画の策定・開示後も、株主・投資者との対話を踏まえて取組みを継続的に見直すことが求められています。改訂後のコードでも、原則4-2の不断の検証とあわせ、毎年の取組みのアップデートが前提になると考えられます。
図8 計画の開示で終わらせず、対話を踏まえて毎年見直すことが求められています。
開示の内容では、自社の資本コストの数値を示すだけでなく、収益性との比較からどのような課題を認識し、どの施策で改善するのかを一続きで説明することが重要です。東証が公表した事例集でも、目標と施策のつながりが見えない説明や、前年から更新されない分析は、投資者の目線とのギャップとして取り上げられています。
図9 東証が公表した「投資者の目線とギャップのある事例」に見られる傾向を参考に整理しました。
取締役会での使い方
資本コストを「使っている」といえるのは、経営計画の策定、個別の投資判断、事後の検証という三つの場面で、取締役会が同じ物差しを用いている状態です。計画では資本コストを踏まえた目標を設定し、投資判断ではハードルレートとして用い、事後の検証では実績の収益性と比較して配分を見直します。
図10 計算した数値を資料に載せるだけでなく、判断の場面で使っているかを確認します。
実務でよく見られるのは、経営企画部門が算定した資本コストの数値が、投資審査の基準や事業部門の業績評価に使われていないケースです。開示資料には資本コストが記載されていても、稟議書には投資回収期間しか書かれていない、といった状態では、取締役会が資本コストを踏まえて判断しているとは言いにくいでしょう。投資審査規程や稟議の様式を見直し、判断の場面で同じ物差しが使われているかを確認することが、改訂対応の実質的な第一歩になります。
IPO準備会社では、上場前から精緻なWACCを算定する必要はないかもしれません。しかし、投資判断の際に「この投資はどの程度の収益を上げれば投資家の期待に見合うのか」を考える習慣は、早くから持っておくほうがよいでしょう。上場後に資本コストを意識した経営を説明する場面で、判断の積み重ねがそのまま説明の材料になります。
- 自社の資本コストの推計方法と前提を説明できるか
- 事業別にROIC等の収益性を把握し、資本コストと比べているか
- 投資判断の基準(ハードルレート)と調整の考え方を定めているか
- 撤退・縮小を検討する基準を平時に合意しているか
- 開示で、課題・施策・進捗を一続きで説明しているか
よくある質問
コードは特定の数値の開示を一律に求めてはいません。ただし、資本コストを踏まえた方針と目標の説明は求められているため、自社の認識をどう示すかを検討することが望まれます。
法令等で定められた方法はなく、一定の仮定を置いて推計します。採用した方法と前提を社内で記録し、毎年同じ考え方で見直すことが重要です。
ROEは負債の活用などでも変動するため、目標だけでは足りません。資本コストとの比較、目標を達成するための施策、経営資源配分とのつながりを説明します。
東証要請の直接の対象はプライム市場とスタンダード市場ですが、投資判断に資本コストの考え方を用いることは、市場区分にかかわらず有用です。
最初の一歩は、事業別の収益性を一枚に並べること
取組みの出発点として、主要な事業ごとに投下資本と利益を整理し、全社の資本コストと並べた一枚の表を作ってみることをお勧めします。数値が粗くても、どの事業が資本コストを上回り、どの事業が下回っているかが見えれば、取締役会で議論すべき論点が自然に浮かび上がります。
まとめ
CGコードの2026年改訂により、資本コストを踏まえた経営は、取締役会が主体的に関与すべき事項として明確になりました。資本コストを開示用の数値で終わらせず、経営計画、投資判断、事後の検証で共通の物差しとして使い、その判断を対話で説明することが、改訂後の実務の要点です。
事業別の収益性の整理、投資判断の基準づくり、取締役会資料や開示の見直しまで、現在の資料を基に論点を整理します。
公認会計士としての実務歴は13年以上、独立後は20社を超える支援に関与しています。労働者派遣事業と有料職業紹介事業の許可申請にかかる監査証明と合意された手続業務に対応しています。優成監査法人(現・太陽有限責任監査法人)で上場企業および上場準備企業の監査に従事し、太陽グラントソントン・アドバイザーズで財務デューデリジェンスと企業価値評価に携わりました。プロフィールを見る
本記事の根拠
- コーポレートガバナンス・コード(2026年改訂版)(原則4-1・4-2および各解釈指針)
- コーポレートガバナンス・コード改訂(2026年)の概要
- 東京証券取引所「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応について」(2023年3月31日)
- 東京証券取引所「投資者の視点を踏まえた『資本コストや株価を意識した経営』のポイントと事例」
- 樋口隆明「CGコード改訂に伴う成長投資を実現する取締役会」『経理情報』No.1787(2026年9月20日号)47〜50頁
免責:本記事は一般的な情報提供を目的とし、個別案件に対する法務、会計、税務その他の専門的助言を構成するものではありません。実際の対応は、最新の法令・取引所規則・公表資料を確認し、必要に応じて専門家へご相談ください。