社会保険診療報酬の所得計算の特例は、租税特別措置法26条が定める制度で、実務では四段階税制と呼ばれています。社会保険診療に対応する経費を、実際にかかった金額ではなく、法律が定めた率で計算した概算経費に置き換えることができます。
使えるのは、社会保険診療報酬が年5,000万円以下で、かつ医業の総収入金額が年7,000万円以下の場合です。利益率の高いクリニックほど、概算経費のほうが実額経費より大きくなり、所得を圧縮できます。
この記事では、2つの要件の判定、概算経費の速算表、自由診療がある場合の比較の方法、そして医療法人化との関係を整理します。
- 特例を使うための2つの要件と、それぞれの金額の数え方
- 概算経費の速算表と、各区分での実効的な経費率
- 自由診療がある場合に、何と何を比較するのか
- どのようなクリニックで特例が有利になるか
- 事業税の非課税とはまったく別の制度であること
図 特例の適用判定(租税特別措置法26条にもとづき作成)
この記事の見出し
📌 四段階税制と呼ばれる特例の中身
租税特別措置法26条は、医業または歯科医業を営む個人について、社会保険診療報酬に対応する経費を、実際にかかった経費に代えて、法律が定めた率で計算した概算経費とすることを認めています。概算経費の率が4つの区分に分かれていることから、実務では四段階税制と呼ばれています。
この特例が使えるのは、次の2つの要件をどちらも満たす場合です。ひとつは、社会保険診療につき支払を受けるべき金額が年5,000万円以下であること。もうひとつは、医業または歯科医業から生ずる事業所得に係る総収入金額に算入すべき金額の合計額が年7,000万円以下であることです。
総収入金額は、社会保険診療報酬と自由診療収入などを合計した金額です。保険診療が4,800万円でも、自由診療が2,500万円あれば総収入は7,300万円となり、7,000万円の要件を満たさないため特例は使えません。2つの要件は別々に判定します。
なお、この特例は必ず使わなければならないものではありません。実額経費よりも概算経費のほうが多い場合に、選択して適用を受けるものです。
📌 概算経費の速算表
概算経費の金額は、社会保険診療報酬の金額に区分ごとの率を乗じ、加算額を加えて計算します。租税特別措置法26条1項に定められた速算表は次のとおりです。
表 概算経費の速算表(租税特別措置法26条1項)。実効経費率は各区分の上限額で計算した参考値
たとえば社会保険診療報酬が3,500万円であれば、3,500万円×62%+290万円=2,460万円が概算経費になります。この金額を保険診療分の実額経費と比較し、多いほうを経費として選択します。
表の右端は、各区分の上限額で計算した場合の実効的な経費率です。報酬が大きくなるほど率は下がり、5,000万円では66.8%まで低下します。保険診療分の実額経費率がこの水準を下回っているクリニックほど、特例の効果が大きくなります。
📌 比較するのは保険診療分の実額経費だけ
ここが実務でもっとも間違えやすいところです。概算経費と比較するのは、クリニック全体の実額経費ではなく、保険診療に対応する部分の実額経費です。
自由診療がある場合には、まず総診療収入に占める自由診療収入の割合を計算します。診療実日数による割合によることもできます。次に、その割合を用いて実額経費のうち自由診療部分に対応する経費を算出します。全体の実額経費からこの自由診療分を差し引いた残りが、保険診療部分の実額経費です。
この保険診療部分の実額経費と概算経費を比較し、多いほうを保険診療分の経費として選択します。自由診療部分については、実額経費をそのまま経費とします。
つまり、保険診療の所得と自由診療の所得を別々に計算し、それを合計したものが医業全体の所得金額になります。
図 特例の適用を検討する手順
📌 どんなクリニックで有利になるか
概算経費の率は最も低い区分でも57%に490万円を加えた水準ですので、実効的には66%を超えます。保険診療分の実額経費率がこれを下回っているクリニック、言い換えれば利益率の高いクリニックほど、特例による差額が大きくなります。
一般に、医師1人で人件費と設備の負担が小さく、家賃も抑えられている診療所では実額経費率が低くなりやすく、特例が有利になる傾向があります。逆に、常勤医を複数雇用している、高額な医療機器を導入した直後で減価償却費が大きい、内装工事の借入返済とともに費用が膨らんでいるといった場合には、実額経費のほうが多くなります。
開業初年度や大型の設備投資を行った年は実額経費が膨らみますので、毎年同じ結論になるとは限りません。特例は毎年選択できますので、決算のたびに両方を計算して比較してください。
なお、この特例で概算経費を使う場合でも、帳簿と領収書の保存が不要になるわけではありません。青色申告の要件や、自由診療部分の経費計算のために、実額経費の記帳は引き続き必要です。
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📌 医療法人にも同様の特例がある
この特例は個人の開業医だけの制度ではなく、医療法人についても同様の特例が設けられています。医療法人化した後も、社会保険診療報酬が年5,000万円以下で総収入金額が年7,000万円以下であれば、概算経費による計算を選択できます。
ただし医療法人化を検討する規模のクリニックでは、社会保険診療報酬が5,000万円を超えていることが多く、実際には特例の対象外になる例が少なくありません。医療法人化の損得を試算する際に、法人化の前後で特例が使えるかどうかが変わる場合には、その影響も織り込んで比較してください。
📌 事業税の非課税とは別の制度
社会保険診療報酬に関する税制上の取扱いとして、事業税の非課税があります。地方税法72条の23第2項は、医療法人が社会保険診療につき支払を受けた金額は益金の額に算入せず、その社会保険診療に係る経費は損金の額に算入しないと定めています。
これは法人事業税の課税標準を計算するときの取扱いであり、法人税や所得税の所得計算とは別の話です。租税特別措置法26条の概算経費は所得税と法人税の計算に関するもの、地方税法72条の23第2項は事業税の計算に関するものと整理して理解してください。
両者を混同すると、事業税の申告で概算経費を使ってしまうといった誤りにつながります。社会保険診療の割合が高いクリニックでは、事業税の負担がほとんど生じないという結果になることもあります。
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公認会計士としての実務歴は13年以上、独立後は20社を超える支援に関与しています。医療法人の設立支援と医療機関の税務顧問を行っています。優成監査法人(現・太陽有限責任監査法人)で上場企業および上場準備企業の監査に従事し、太陽グラントソントン・アドバイザーズで財務デューデリジェンスと企業価値評価に携わりました。プロフィールを見る
❓ よくある質問
A. いいえ。医業または歯科医業から生ずる事業所得に係る総収入金額の合計額が年7,000万円以下であることも必要です。保険診療が4,800万円で自由診療が2,500万円という場合、総収入金額は7,300万円となり、特例は使えません。2つの要件はどちらも満たす必要があります。
A. いいえ。比較するのは保険診療に対応する部分の実額経費です。総診療収入に占める自由診療収入の割合などを用いて実額経費を按分し、自由診療分を差し引いた残りが保険診療部分の実額経費になります。ここを全体の経費で比較すると判断を誤ります。
A. いいえ。実額経費よりも概算経費が多い場合に選択して適用を受ける制度ですので、年ごとに有利なほうを選べます。高額な医療機器を導入した年は減価償却費で実額経費が膨らみますので、その年だけ実額経費を使うという判断もあり得ます。
A. いいえ。青色申告の要件を満たすためにも、自由診療部分の経費を計算するためにも、実額経費の記帳と証憑の保存は必要です。概算経費は保険診療分の経費の計算方法にすぎません。
A. 医療法人についても同様の特例が設けられていますので、社会保険診療報酬が年5,000万円以下で総収入金額が年7,000万円以下であれば選択できます。ただし医療法人化を検討する規模になると要件を超えていることが多く、実際には対象外となる例が少なくありません。
📄 まとめ
社会保険診療報酬の所得計算の特例は、社会保険診療報酬が年5,000万円以下、かつ医業の総収入金額が年7,000万円以下の場合に選択できます。概算経費の率は、2,500万円以下が72%、2,500万円超3,000万円以下が70%と50万円、3,000万円超4,000万円以下が62%と290万円、4,000万円超5,000万円以下が57%と490万円です。
比較の対象は保険診療部分の実額経費です。自由診療がある場合は、自由診療収入の割合などを用いて実額経費を按分してから比較します。利益率の高いクリニックほど概算経費が有利になり、設備投資の直後など実額経費が大きい年は実額経費が有利になります。
特例は毎年選択できますので、決算のたびに両方を計算して比較することが大切です。事業税における社会保険診療の非課税とは別の制度である点、医療法人化によって適用の可否が変わり得る点にも注意してください。
⚖ 本記事の根拠法令
- 租税特別措置法26条1項(社会保険診療報酬の所得計算の特例。社会保険診療につき支払を受けるべき金額が5,000万円以下であり、かつ医業または歯科医業から生ずる事業所得に係る総収入金額に算入すべき金額の合計額が7,000万円以下であること。概算経費の速算表)
- 租税特別措置法26条2項(社会保険診療の範囲)
- 租税特別措置法26条3項(確定申告書への記載を適用の要件とする規定)、同条4項(宥恕規定)
- 地方税法72条の23第2項(医療法人が社会保険診療につき支払を受けた金額は益金の額に算入せず、当該社会保険診療に係る経費は損金の額に算入しない)
- 医療法人に対する同様の特例についても租税特別措置法に規定があります
公認会計士・税理士 鈴木佑也(鈴木佑也公認会計士税理士事務所/東京都台東区入谷)。優成監査法人(現・太陽有限責任監査法人)で上場企業および上場準備企業の監査に従事し、太陽グラントソントン・アドバイザーズで財務デューデリジェンス、企業価値評価、IFRS影響度調査、不正調査、フォレンジックに携わりました。現在は上場申請書類(Ⅰの部・Ⅱの部)の作成支援、内部統制の導入と内部監査対応、新収益認識基準やIFRSの導入支援、社内諸規程の整備を行っています。
本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の事案に対する助言ではありません。実際の制度設計や運用にあたっては、監査法人および主幹事証券会社にご確認ください。